2009年5月アーカイブ

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 5月25日、午後から倉敷市松島の川崎医療福祉大学

ボランティアセンターを訪問しました。

学生の皆さんに、ひまわり号のボランティア紹介やコーディ

ネートをしていただいた事へのお礼に伺ったものです。

 

 お話によると、大学のボランティアセンターが開設されたの

は2007年4月で、本館7階の一室は写真で分かるように充分

なミーティングスペースが確保されています。

週の月、水、金曜日の午後から開所するセンターには、福祉

系のボランティアサークルの打合せや活動情報の共有など

センター機能を発揮する場がありました。

 開設時からボランティアコーディネーターとして活躍されている武本さん(写真右下;手前左)と学生のボランティア事情

などお話を伺いました。

「医療福祉大学の学生は、障がい者・福祉系のボランティアをする時、問題なくやれるであろう」との先入観を持たれる。

学部や年次によってできる学生もいるが、普通は大学に入って初めてボランティアを経験する学生が大半であるので、

戸惑いを感じる場面が見られるとのこと。

「確かにそりゃそうだと納得。」

病院の職員でも部署によっては車椅子を扱ったことがない人は当然いることと同じです。

大学のボランティアセンターでは活動のきっかけづくりやボランティアを学ぶ機会の提供が優先されるべきでしょう。

「これってひまわり号のボランティアの理念と同じじゃないですか」と妙に納得。

 そんなお話をしていると、ひまわり号のボランティアとして参加する予定であった佐藤さんが登場。(写真右下;うしろ左)

紹介を受けて、それならご一緒に。

坂出市から通学との事、おつかれさま。

「延期の電話連絡は私がしました」と対面の岩佐組織部長。

それならと、いいきっかけなので「写真付でブログに掲載させてください」の承諾を得て、本文となりました。

 

 川崎医療福祉大学は1991年(平成3年)4月の開学です。

ひまわり号との関わりは1992(平成4年)年4月14日、当時事務局次長であった私と桐山(旧姓)吉田(旧姓)で

ボランティアの要請で訪問したとの記録が残っていました。

1992年の訪問地は瀬戸田でした。実行委員会の企画スタッフとして小林甲和(かんな)さんが活躍していました。

現在も活躍している寺町さんもこの頃からではなかったのかな?

ボランティアセンターが開設されるより前から、ひまわり号との関わりがありました。

 

 

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 5月24日早朝、曇り。

夜中に降った雨は倉敷駅北口の橋上デッキをまだ濡らしてい

ました。

午前7時の集合に、4人のスタッフが集まりました。

「ひまわり号延期の連絡は周知をするだろうけれど、もし間違

えて倉敷駅に来られたら」気の毒だから。

午前7時から8時前まで、倉敷駅北口からコンコースを見て廻り

ました。どなたも来られませんでした。

延期の連絡はt周知されていました。

 

 今日デビューするはずだった「ひまわり色(しょく)」ハーフ

ジップシャツの背中にプリントしたエンブレム。  (右の写真)

昨年の8月撮影した、笠岡干拓地のひまわり畑の写真に「HMAWARIGOU   KURASHIKI」の文字を入れたオリジナル。

自慢する機会が失われたものの、色あせることなく次の登場をうかがっている。

 5月12日の実行委員会で、「新型インフルエンザの不安を抱えたままで発車はできない」と判断し

5月24日予定していたひまわり号の運行を延期しました。

既に参加者、関係者の皆様には連絡を済ませています。

 

ひまわり号が走る日を心待ちにされていた障がい者の皆様、ボランティアとして応募された心ある皆様、

また、献身的に準備に奔走した実行委員スタッフの仲間たち、心情を察すると残念の一言です。

 

すべてを徒労に終わらせるつもりはありません。次につなげます。

「ボランティアが足りない」の呼びかけに呼応して下さった方々の暖かい気持ちは次につげます。

 

 

 

 

 ボランティア不足から募集を5月9日まで延長していましたところ

172名におよぶ介助ボランティアが集まりました。

障がい者に対する介助ボランティアの必要数は150名としていましたので

より以上のボランティアが集まったことになります。

 実行委員会スタッフの献身的な行動はもちろんですが連休後半の5月5日、

山陽新聞の掲載記事も大きな後押しとなりました。

田中さんのメッセージと写真は心を揺さぶりました。

電話でのやり取りでは「経験はないですがこんな私でもできるでしょうか」

「朝7時20分の倉敷駅集合ですが大丈夫ですか」の問いかけに、

「津山を4時半に出れば大丈夫です」とこともなげに言い放つ

津山市からのボランティア希望者。

「年はいってますが元気なので何でもやれます」倉敷市児島在住、67歳女性。

中国短期大学の学生はホームページからの参加申込み。

その友達から聞いたのですがと、つながって、さらにつながって。

 

 電話での会話やメールでの交わした言葉に随分と勇気づけられました。

ありがとうございました。

 

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